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大晦日~令和二年 1月 1日 歳旦祭
大晦日~ 令和二年1月1日 歳旦祭
12月31日大晦日の23:00前は、風が有りとても寒い天候でした。風が強いので、焚火禁止と消防団の判断でしたが、23:00を過ぎると風は収まってきて、焚火の許可が下りました。
前日の雨で、木材が湿っていましたが、何とか暖がとれました。
23:00 この頃には、既に10名程は御並びでした。
おもてなしの ぜんざい 用の餅の準備。 おもてなしでは、授与品・お神酒(枡酒)・つまみ・せんざい・ジュースなどが、振舞われます。 個々は、お気持ち程度ですが、他の神社では、この様な おもてなし は無いと御聞きします。奉仕は、氏子総代会の皆様で成されています。
令和二年 0:00 直前には、多くの方々で行列が出来ています。
令和二年 0:00 太鼓の音の合図で紐が外され、初詣が始まりました。
様々な思いを込め初詣は続きます。
枡酒の御神酒です。枡は、益々の繁栄などを意味し、お持ち帰り頂いています。
0:20 頃、鳥居を越し 旧家前を超える行列でした。
お詣りの後、おもてなしの所に案内される参拝者の皆様。
1:30頃、長い行列も落ち着きを見せました。 この後、参拝者は 随分少ないのですが、ずーと氏子総代の方々が、当番制で もてなし の用意をされていました。
7:30頃 さわやかな元旦を迎えて、初詣の方がお見えになりました。
7:50頃 元旦の朝日 おもてなしに使いました テントなどは、9:00~11:00の間に片付けられました。
11:00より、歳旦祭の神事が行われました。
直会も含め神事となります。
ご家族で参拝の様で、記念写真などを撮影されていたようです。おもてなしは、片付けられたのですが、1日の朝~午後は、夜のような寒さは無く、のどかな雰囲気が感じられました、
おみくじを引かれる方も多く、様々な願いが込められているのでしょう。おみくじは、良いものは身に付けたりと持って帰り、望まない事が書いて有ったら、その点を直して頂きたいと木などに結ぶと聞いていますが、人により色々あるようです。
また、大吉が出るまで引かれる方も、お見えのようです。
令和二年 1月 2日記 新HP担当者1月第2日曜 左義長
令和二年 1月12日 左義長(どんど祭り) 予告
正月の門松・飾り物・古札などを焚きます。
また、正月の書初めを焚くと、書道の上達の兆しと云われているようです。
ぜんざいのふるまい、有ります。
氏子・崇敬者の皆様 御参拝ください。
※焚きものは、環境の為、可燃・プラスチック・不燃(金属・陶器など)と、分別されていると助かります。
令和二年 1月 4日記 新HP担当者
令和二年 1月12日 左義長(どんど祭り)
令和二年 1月12日(日) 左義長(どんど祭り)・鏡開き
新たな年の正月も過ぎ、役目を終えた「古札」「門松」「飾り物」などを納め焚き、鏡餅をその火で焼いて食せば、夏病をせぬ と云う伝えが有ります。
正月の書初めを焚き、天高く舞い上がるのを書道上達の兆しとも云われます。
※ 多くは有りませんでしたが、書道の書初めも納められました。
ちらりと見えたその字は、楷書・草書と達筆で、一瞬 見とれてしまいました。
草書のそれは、最も優美であった平安時代の書を手鑑としたものと察しました。
じゅっくり拝見した訳でないので、より想像を搔き立てられます。
「高野切」「継色紙」? 貫之・行成・伊房 ? 世尊寺流?
昔、久曾神 昇先生のお話を聞いたことが想い出されました。
(解かる方だけ向けの文章。m(_ _)m )
また、書初めを納める方は、云われの様に 書道上達の心得が立派なのだろうと思いました。
前日の準備も…、当日早朝は 机・椅子・おもてなしの準備を、氏子総代の皆様でなされていました。前日より、納められた古札・飾りものなどの可燃物・プラスチックなどの分別も必要です。
この分別は、左義長終了まで続きます。
ぜんざい・御神酒の準備
8:00前、事件を耳にする。 ← 左義長とは、別の話なので、最後に記します。
8:00前~ 順次、納められた古札・飾りものなどが焚かれます。
元旦ほかに、願いを込め結ばれた「おみくじ」も焚かれ、これで完全に願いが 天まで届いたのでは…と思います。
餅の焼く量も増えてきました。
ぜんざいなどの おもてなしを楽しむ氏子の皆様。
10:15頃には、本殿前が少し行列となっていました。
氏子の皆様が、お見えになるのも比較的平均していて、予定の 11:00まで続きました。
11:00過ぎ
焚きものが落ち着くまで、氏子総代の一部で、火の番がなされます。。
氏子の皆様が、皆そうなっては困るのですが、少しばかりは何の影響も御座いませんので、納める古札・飾りものなどが有れば、早めにお持ち下さい。
雑学)御札に有効期限と云うのも不思議な気が致しますが、概ね一年と聞いたことが有ります。多少遠くても信仰する御宮は、年一回は、御参りして下さい…と云うことでしょうか?
氏神であれば、年一は御札を新ためて下さい…と云うところでしょうか。
お元気で健康な氏子の皆様を、拝顔・会話し、
氏子同士や氏子総代も一時の幸せだったと思います。
左義長で舞い上がった煙を見て、
より多くの幸せが、氏子の皆様に舞い降りますように…と思いました。
8:00前の事件
神明社の南下の派出所の出来事
なんと、派出所北側の空調機(室外機)が、当て逃げされていたとのこと。
パトカーが駐車する辺りです。
写真では判りませんが、犯人は、赤い塗装の車の様。
警察は、意地でも直ぐに捕まえますね。
氏子の方では無いことを願っています。 令和2年1月12日 新HP担当者記
令和二年2月3日 1月12日事件の経過
令和二年 1月12日 左義長(どんど祭り)の日に起こりました「8:00前の事件 神明社の南下の派出所の出来事 派出所北側の空調機(室外機)が、当て逃げされていた……。」の件。
尋ねる機会が有ったので、派出所の方に御聞きしました。
犯人は、見つかったとのことでした。
一報まで 令和2年1月12日 新HP担当者記
令和2年3月下旬 ~ 4月上旬 お花見会(桜祭り)
令和2年3月下旬 ~ 4月上旬 お花見会(桜祭り) 予告
令和2年3月下旬 お花見会(桜祭り) 中止
「お花見気分」 3/19~3/29
本項目は、「お花見の会」が催されたであろう3月29日まで。変更・更新されます。
4月も少々追加しました。
3日には、「桜の花」だけでしたが、今日は「葉」が目立ちました。
時々の強風に、「桜吹雪」 が見られました。
3月29日と5日と、どちらも風情の有るものでした。
個人的ベストは、「満開」「のどか」で、4月3日でした。
4月3日(金)晴れ 「お花見の会」が、 4月5日だったらと思い追加しました。
つぼみは見当たらず、花びらも落ちた様子も無く、
「満開」と云って良いと思います。
お近くの方は「お花見」しても、新コロナウィルスを(うつす・
うつされる)の心配は、無いかと思います。
(スーパーマーケットの方が、余程多くの人が密集しています。)
3月29日(日)雨後、晴れ 新コロナウイルスの影響が無ければ、「お花見の会」は、
今日だったでしょう。
御参りや、桜撮影の方を見かけました。
3月28日(土)曇り・小雨 昨日は、「撮影できず、桜は…」と思っていました。
開花は進み、充分楽しめました。
3月26日(木)晴れ 午後でしたが、「和進ふれあいセンター」の方(計5名)が、
陽当りを兼ね「桜」を御機嫌良く御覧でした。
にこやかな声も聞こえてまいりました。
「週末に、天候が下り坂なので、今日。」だそうです。
「モデルさんですよ~」と撮影しました。
とっても 暖かい(・・暑い位の)日でした。
3月25日(水)晴れ 更に開花が増えてきました。
3月24日(火)晴れ 1日で、三分咲き程でしょうか?
随分と開花が増えて見えました。
3月23日(月)晴れ 4日たつと、二分咲き程でしょうか。
週末の花盛りも目に浮かび、楽しみです。
3月19日(木)晴れ 桜は、一輪も開花していませんでしたが、つぼみが伺えました。
4月12日 お知らせ 「新コロナウイルスの対応」
6月5日 お知らせ 「愛知県緊急事態措置」を解除 恵比寿神
「愛知県緊急事態措置」を解除に伴い、授与室・社務所内集会場を、次の通り対応させて頂きます。
1)授与室
毎月第1・3の日曜午前中に、窓口の再開。 電話受付可。
2)社務所内集会場の利用(摂社など→社務所 に記載)についても、利用再開。
但し、1利用につき20名迄と頂きます。
恵比寿神
拝殿の西、秋葉神社の北隣に恵比寿社が、某所からの寄贈により造られました。
恵比寿・蛭子(エビス・ヒルコ)・夷・戎・恵比須・恵比須・事代主(コトシロヌシ)など、同意とも 違うとの話もあるようで、ここでは総称として「恵比寿神」とさせて頂きます。詳しく判りましたら、追って記述できたらと思います。
いずれにしろ、「海の神」「漁業の神」から「福の神」「商売繁盛」「五穀豊穣」をもたらす 神となっています。
七福神の一柱、唯一の日本古来の神であります。
(釣竿を御持ちでは有りませんが、石造りでデリケートな為、略されたと思われます。)
カラス問題
特に、拝殿の北西の大樹木及び電柱電線に、見受けられます。勿論、飛んで移動するので、この限りでは御座いません。拝殿で御参り中にカラスが襲ってきたこと
を聞き、 些細ですが「カラス除け」を付けました。
効果の程は判りませんが、暫く様子見とさせて頂きます。
カラスに注意
1)カラスの鳴き声が不気味ですが、カラスも人を怖がっているはずです。2)食べ物・食べ物に見える様な物は、持たない・着ない様にして下さい。
6月20日 車御祓い
令和二年 7月最後の日曜 夏祭り
令和2年7月25日(準備)~ 26日(夏祭り)
7月25日(土) 準備
「輪くぐり」「盆踊り」「夜店」の準備は御座いませんが、清掃・朱幕・提灯など、それなりの準備は御座います。
「輪くぐり」は無くとも「茅の輪づくり」の準備は、御座います。
「茅の輪」は、「蘇民将来伝説」による「厄除け」「魔除け」となります。
(いずれ、「蘇民将来伝説」を詳しく書けたら…と思っています。)
7月26日(日) 夏祭り当日も、当日行う準備が御座います。。。。。
「茅の輪づくり」の材料、こちらも御祓いが成されました。
「夏祭り」は、「天王祭」でもあり「津島社」にも御供え致します。
須佐之男命(すさのおのみこと)を祀る「天王社」には、京都の八坂神社同様(細かなことは多少違います。)に、「蘇民将来伝説」が有るようです。
寄贈を受けました「恵比寿神」が 6月に移設が完了し、「御祓い」「祈祷」を行います。
拝殿では、「密集」を避け、人数制限して入場し、神事が成されました。
拝殿の外にて、参拝を待つ氏子総代の皆様。(お祓いは、拝殿外にて)。
この後、拝殿内の氏子の皆様と交代しつつ、全員参拝致しました。
寄贈されました「恵比寿神」を御祓い~御参り致しました。
「海の神」「漁業の神」から「福の神」「商売繁盛」「五穀豊穣」をもたらす神ですから、氏子の皆様も(御利益期待?)如何でしょうか。
「恵比寿神」の横に河本宮司名にて、説明が御座います。
調べる前は、確認程度で済むか…と思いましたが、「恵比寿神」は、少々思いと違いました。
「事代主神」(ことしろぬしのかみ)と聞いて、「恵比寿神」(えびすのかみ)の正式名称と思う方も多いと思います。
熱田神宮「初えびす」(毎年1月5日)は、上知我麻神社(大国主社、事代主社)で執り行われ、よく知られています。
当社の「恵比寿神」は説明より、「事代主神」とは別の「蛭子命」(ひるこのみこと)となります。
多くの方々に、「えびすさま」と云われます「事代主神」(ことしろぬしのかみ)と「蛭子命」(ひるこのみこと)の「二柱」は、親も違えば、総本社も違い、全く別の「神」となります。
他にも諸説有るようですが、この「二柱」で 全国を 3000社程と3500社程と二分しているのが現実です。
A)「蛭子命」(ひるこのみこと)
総本社 兵庫県西宮市 西宮神社 (開門と共に 230mの「走り詣り」で有名)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の第一子。
※第一子ではありますが、「不具の子」として生まれたようで、幼くして捨てら
れ(海に流され)、「二神の子の数には入れない。」(古事記)となっています。
その後、西宮の海岸(神戸和田岬)に流れ着き、民が「海の神」として信仰され
たようであります。
B)「事代主神」(ことしろぬしのかみ)
総本社 島根県松江市 美保神社
大国主命と神屋楯比売命の子。
※大国主命の正妻は、須勢理毘売(すせりびめ)で……、私の知る範囲でも、
正妻含め6名の妻がみえたようです。
御姿は、釣竿・鯛を御持ちですが、釣りとの縁が深かったのは、「事代主神」
のようで、「海の神」となったと思われます。
簡単ですが、主な違いを書くと、説明の看板が無ければ、当社の「恵比寿神」が、どちらの「神様」か判断できないと云えます。
宮司に問うても、最初は「七福神は、仏教の影響があって…。」などで、当社が「蛭子命」とする根拠が不明でした。
本来なら、寄贈者が「どちらの神を祀っていたか。」によると思いますが、それも代が変わり、不明でした。
(残念なことに、周りの方は「宮司が云ったから…」程度で、「問題に触れない説明で進める。」と、何とも「心もとない」ことでした。)
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氏子の多くの方は、深く考えなくても「海の神」「漁業の神」転じて、「家内安全」「商売繁盛」などを「感謝」「願い事」をお詣り頂いても結構なことと思います。
こだわる方が、「どんな神様にお詣りしているか…」を把握して、お詣り頂ければ…と思います。
そして、ある程度 理解・納得された方が、どの「恵比寿神」を祀っているのかを知りより適した「感謝」「願い事」で、お詣りされることになると思います。
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7月26日(夏祭り)の当日に宮司より、その背景が漸く少し御聞きできましたが…。
中央政権(大和王権)から見て、地方の民(勢力)や東国の者を「えみし」「えびす」と呼んで「戎」「夷」と書いたと同様に、異邦の者を意味することが有ります。
つまり、「中央政権」(伊勢 天照大御神 )側と「出雲勢力」(大国主命)の対立が、元となっているようです。
「天神地祇」のことのようです。
(確か、天照大御神(伊勢)が、大国主命出雲の国を譲ってと迫り、譲る条件に 48m程の出雲大社(現在の社より、ずっと背の高い社)を造るよう求めたとの「国譲り」の話のことです。)
神明社は、天照大御神を主祭神とし、伊勢神宮内宮を総本社とする神社でありますので、出雲を総本社の「恵比寿神」と考えるより、「中央政権」(伊勢)側と考え、上記A)「蛭子命」の「恵比寿神」と考えるに至ったようです。 (あくまでも仮定の上の解釈です。)
皇居では、賢所(かしこどころ)で天照大神(御霊代の八咫鏡で伊勢神宮のご神体の別御霊)を祀られています。
神殿には、元は天皇を守護する八神(神産日神、高御産日神、玉積産日神、生産日神、足産日神、大宮売神、御食津神、事代主神)が祀られていましたが、明治になって総ての天神地祇(八百万の神)も共に祀ることになりました。
※出雲系の事代主神とは別とも…。
私見ですが、
以前より 熱田神宮の初えびすへお詣りし、「恵比寿・大国」を祀って、皇居でも祀られています「事代主神」を信仰していました私としては、今でも「事代主神」と考えたく思っています。(内心は、未だ納得が出来ず疑問は、残っています。)
釣竿を持った御姿は、「事代主神」です。
「蛭子命」であれば、親に捨てられ(一説には、胞状奇胎だったとも)、子として含めず、海から流れ着き祀られる(御遺体だったのでは…、クジラなど漂流物が流れ着くと利益を生むと云われていた。)ですから、もっと違う御姿か、理想像としての釣竿姿なのでしょう。 (但し、当社の恵比寿神は石像の為、釣竿は有りません。)
七福神も「事代主神」、唯一の日本人の「恵比寿神」が、渡来の仏教勢力を連れて来たようにも見えます。
よく祀られます「恵比寿・大国」も「事代主神」、大国主命とは、親子です。
色々なことに諸説有り、まとまりが有りませんが、一端を紹介致しました。
余談(聞いた話)ですが、
知人(日本人)のアメリカの大学で、「日本文学」を教えてみえる方が、話されました。
「日本人は不思議です。
出雲大社は、大国主命の隣に正妻(須勢理毘売 すせりびめ)、一方には別の妻(多紀理毘理売 たきりびめ)が並んでいる。
それに若い男女が、 「縁結び」の御利益をお詣りしている。」
簡単に云うと、(正妻含め6名程の妻の居た)大国主命と正妻と現地妻に、「江戸時代のお世継のため」でもない現代の倫理からは、不適切では…。
男性は、「側室を5人以下なら、公認して…。」と願っているのだろうか?
女性は、「正妻でも側室でも…。」なのだろうか?
どんな神様が祀ってあり、どうお詣りするか…、考えたいものですね。
7月~10/10分 追加 令和2年10月11日 (日) 6:00 更新
お詫び 令和2年10月11日
お詫び (時系列にて記述)
1)今年の始めに、社務所を利用し活動して頂いてます一部の利用者(団体)に対し、「活動をHP上に載せる」様に資料を集め始めたのですが、役員の中から意見が上がり、中断しています。
また、直ぐに新型コロナの影響で、更に頓挫しています。
私としては、
活用されていない時の社務所スペースを、民間の健全な活動をお知らせすることにより、神明社が地域に貢献していることを、知って頂けるのではないか…と考えたり、
HP上の検索キーも増やせることにならないか…、それにより、より多くの方に神明社を知って頂けるのではないか…。
世間に、お知らせできないような活動には貸していないとも云えるのでは…。
役員の意見には、
HP担当前任者が何年も載せてあることも知らず、苦情を云う方もみえました。
社務所スペースを利用する方を、宣伝することはない。
(宣伝と捕えようが勝手なことですが、隠すことでも無いと思います。)
当然の様に認識しています「神明社利用が優先。」の説教も頂きました。
費用は、載せない方がよい。
など、意見・説教として拝聴致しました。(なるほどとは聞けませんでしたが…。)
他に、「HP担当は、5年だな…」とも。
私は、HP担当をやむなく受けるにあたり、町内からは氏子総代を新に成って頂き、自分は広報として、別枠参加とし、「成り手が有れば、いつでも辞めるつもり」で、氏子総代に長居するつもりは御座いません。
どういう意図かは、判りませんが、私にとっては非常に心外でした。
むしろ、この発言者が、氏子総代長居により、傲慢さの一端が出たのでは…と思えます。
悪意のある発言であったとは思いませんが、私の「HP作業」「思いや気力」には、大変支障の有る発言でした。
そうしてる間に、「新型コロナウイルス」の影響もあり、気力減で頓挫していて、申し訳ない次第であります。
来年へ持ち越しかも知れませんが、「活動をHP上に載せる」として行きたいので、宜しくお願い致します。
2)「恵比寿神」でのこと。
下の「令和2年7月25日(準備)~ 26日(夏祭り)」に色々と記述しました。
結局、調べても諸説もあり、色々と複雑で、よく判らないことが多いです。
宮司からの「的を射た詳しい説明も無い」まま、「宮司が云ったから…」で、「問題に触れない説明で進める。」と、何とも「心もとない」こと。
せめて氏子総代責任役員だけでも、御興味を持って、知って頂きたく思います。
(私も興味が有ったわけではないが、HP記述の為に調べ、色々と疑問が沸いてくるのであります。)
残念なことは、「何故、蛭子命(ひるこのみこと)の恵比寿神なのか?」のそれなりの「根拠を知る。」ことに対し、抵抗のある方が多いことです。
御承知のように、報道などで「T.大統領の発言は、何を根拠にしているか判りません。」とか「根拠のないことです。」などと使われます。
「信憑性の少ない、信じるにこと足りない。」意味を表していると思います。
単なる神社をネタにしたイベント屋団体だけでは無いと考えますので、役員(特に責任役員)は、それなりに「知る」ことを考え、意識して頂きたく思います。
願えれば「恵比寿神」像の寄贈を受ける段階で、事前によく調べて行きたいものです。
まだまだ記載したいことも御座いますが、時に「気力が減り」「なさけなく思い」「腹立たしくも感じ」…という中で、HP更新がなおざりになり、申し訳有りませんでした。
氏子の皆様他、少ないかもしれませんが、「知る」「御興味を持つ」方々への切っ掛けになれば…と、今後共頑張って行きたいと思いますので、宜しくお願い致します。
廿軒家神明社 広報担当
令和二年 10月中旬の日曜 秋祭り
10月11日秋祭り追加 令和2年10月13日 (火) 17:00更新
10月11日 秋祭り (秋の例大祭) 及び 戦没者・戦争犠牲者慰霊祭 令和2年10月13日更新
前日午前中の準備が、台風接近の雨などで、中止となりました。
14:30頃からでしょうか、雨が上がって責任役員と一部の有志の方が、集まってみえて、各所の注連縄(しめなわ)や 紙垂(しで :注連縄に付いている稲妻形の白い紙)の交換など、極一部の準備が成されました。
極一部ですが、16:30頃までかかったと思います。
責任役員と有志の方、御苦労様です。
神明社氏子総代会も、こういう方々に一段と支えられていることと思います。
10月11日(日) 秋祭り (秋の例大祭)
当日の朝は晴天で、前日の準備中止のせいでしょうか…、氏子総代の皆様は予定時間より早目にお見えになった方が、一段と多かったように思います。
掃除・朱幕・提灯・のぼりなどは、天候良ければ前日準備したいところです。
慰霊祭の準備・拝殿などへの御供えなどは当日です。
コロナ禍で、子供獅子が中止となり、町内会長など代表が参加し、獅子頭の御祈祷です。
※ちょっと雑学 :
獅子頭の数え方は、一面(おもて・めん)、一頭(かしら)、一体、
一対 [二面で] だそうです。
私見ですが、面(おもて・めん)は「お面」の彫物的感じが強いので、
一頭(かしら)や 一体が、良さそうに思います。
町内会長など代表が参加し、獅子頭の御祈祷です。
時間は予定通りなのですが、心配になるくらい、各町内一組ごと丁寧に 御祓い・御祈祷が、なされました。
例大祭神事の前に、手水(ちょうず)で清めます。
コロナ禍で、拝殿内も人数制限を致しました。
とどこおりなく、来賓・町内会長・氏子総代の皆様の御祈祷がなされました。
戦没者・戦争犠牲者慰霊祭
戦後の経過年数の影響でしょうか…、お詣りの参加者が減ったように感じました。
日常の生活も大事ですし、亡くなられた御身内・御先祖様へも心寄せたいですね。
予定の行事は済みましたが、片付け前に、「長年氏子総代として功績の有った二名」に 宮司より表彰がなされました。
片付け開始です。
拝殿・社務所の幕は、今回初使用でした。
また、多くの奉納を頂き有難う御座いました。
皆様に「神様の御加護のあらんことを」。
廿軒家神明社 広報担当
令和二年 11月第2日曜 七五三
11月 8日(日) 七五三 の追加 令和2年12月 8日(火) 10:00 更新
七五三のお詣り、有難う御座いました。
七五三詣りの御家族に限りますが、当方で当日撮影致しました写真は、一部のみをここに掲載し、御家族様の他写真データは、下記要領でお渡し致します。
記
1)当日の七五三詣りに、参加(昇殿)の方。
(当方は、第三者に渡らぬ様、写真データにて確認致します。
確認出来なかった場合は、お渡しできません。)
2)記憶媒体は、USB、SD、micro SD、MS、M.S.DUOなどを、御持参下さい。
3)お渡し対応日時
日にち 12月 13日(日)・20日(日)・29日(火)
時間 9:00 ~ 11:00 (20日は、9:00 ~ 11:50)
他作業をしている場合もありますので、広報担当 土岐 を呼び出し下さい。
4)素人写真なので、写りには期待し過ぎないで下さい。(^^;)
今回は、6組7名の御子様の成長を神に御報告がなされ、日頃の御加護に御礼を述べ、今後も健康賢く成長することをお願いされました。
どの御子様も、おめかしされ、とても可愛らしい姿でした。
御家族の方々、とても成長が楽しみなことかと思います。
健康に成長されることを思い、とても微笑ましく眺めてさせて頂きました。
11月 8日(日) 七五三 の追加
12月 8日(火 ) 年末・年始について 令和2年12月 8日(火) 10:40 更新
12月 8日(火) 年末・年始 一部赤文字に 令和2年12月13日(火) 16:10 更新
12月 1日(火) 年末・年始について 令和2年12月 8日(火) 10:00 更新
年末・年始のお詣りについて
年末には、この一年の「神の御加護」に、御礼を伝えるお詣り。
年始には、新たな年に「神の御加護」などをお願いする「初詣」。
(省略して、「初詣」で両方を兼ねている方が多いのですが、丁寧に行えば、年末・年始とお詣りするそうです。)
上の写真は令和2年1月1日の一部の様子で、非常に多くの方々に御参拝頂きました。
令和3年の「初詣」は、新型コロナウィルス感染拡大防止中のことですから、
当神明社も 次の対策などを致します。
御理解と御協力を お願い致します。
1)消毒・検温のコーナーを、境内の東側・南側に設置致します。
消毒・検温に御協力下さい。
寒い外気の中の検温ですから、2℃程低く計測されますので御考慮下さい。
高熱の方は、念の為、他の方々に御配慮(別の日にするなど) 頂けると助かります。
2)境内では、マスクの着用を お願い致します。
また、御家族もしくはグループごとに、1.5 ~2.0m程度の間隔をあけ、
飛沫低減の為大きな声を発せずに御並び下さい。 (掲示・呼びかけなどを予定)
3)手水舎・龍神社の柄杓は、取り去ってあります。
手水舎には、柄杓は無く、三つの黒い管より水を流しています。(最多三名分)
この水にて「お清め」程度をお願い致します。
4)拝殿の鈴を鳴らす綱の取り外てあります。(鈴は、鳴らせません。)
上の柄杓も同様ですが、皆様が、共に触れる物として撤去しました。
5)1日 0:00 太鼓を合図に、新年の御参拝・お詣りが始まります。
年末詣りは、新年のお詣りとは別に随時お詣り下さい。
6)お詣り後、右手側(東側)へ降りて頂くと「おもてなしコーナー」が、ございます。
大人の方には「授与品」御子様には「菓子」の準備が御座います。
ただし、多く用意はしていますが、数に限りは御座います。
その他、「御神酒(樽酒・枡酒)」「おつまみ(小袋)」の用意もございます。
残念ながら、非常に人気が有りました「ぜんざい」は、「蜜」を避けるために
中止となりました。
「おもてなしコーナー」は、1月1日 0:00 ~ 2:00頃迄。
7)新年は1日~3日迄、社務所を空けています。
1日は、0:00 ~ 17:00。
2日~3日は、9:00 ~ 15:00。
例年、12月31日の23:00頃 ~ 1日 1:30頃迄、非常に大勢様です。
新型コロナウィルス感染拡大防止の為には、お詣りの日時を分散して頂けると良いかも
知れません。
(神様は、感染拡大防止の配慮も御覧になっているかも知れませんね。)
お求めの「御札」なども、1日 0:00 ~ 1:30迄 社務所前が非常に混みます。
町内へは、事前申込みにて「御札」が届いている頃かと思います。
多くの方は、「初詣」時に「御札」をお求めのようです。
遠地へ お詣りの時には、そのようになります。
こだわる方は、「御札」は、年末に求め、新年を迎える大掃除などして、
しめ縄・御供などと共に 新たな年の「御札」を祀り、新年を迎へます。
また、特にこだわる方は、新年の御飾り(御札・しめ縄・御供など)を、
29日は「二重苦」と聞こえるから避け、31日は「一日飾り」と云って避ける方も
おみえです。 (28日までか、30日しか有りませんね。旧華族の方からお聞きした話。)
年末は、12月13日 9:00 ~ 11:00
20日 9:00 ~ 12:00
29日 9:00 ~ 11:00
31日 21:30 ~ 22:30 なら、
社務所の対応ができると思いますので、お声掛け下さい。
年末詣りと「御札」のお求めなどは、如何でしょうか。
8)「初詣」時に、古くなる「御札」などを 31~1日 23:00 ~ 2:00 に、納める方が
おみえですが、当社では貯めておける所の用意が御座いません。
拝殿前の灯籠近くに「金属の籠」の様な物の中も焚かれてしまいます。
心情的には、1月10日の「左義長」(どんど焼き)まで、貯めておきたいのですが、
結局、「たき火」のところで焚くことになってしまいます。 m(_ _)m
同じ様に、火で焚くことに変わりがないのですが、少々意味が違う様に思います。
1月10日の「左義長」(どんど焼き)向けに御持ち頂けると助かります。
新年の御飾りなど(古札・しめ縄・御供など)を「左義長」の事前に御持ちの方は、
置き場所 拝殿前の灯籠近くに「金属の籠」の様な物の中へ、お入れ下さい。
ただし、防火の為、極力前日の9日及び10日11:00迄に御持ち頂けると助かります。
上、諸々と「初詣」などの「御協力のお願い」などを記述致しました。
災難無き様に 神様にお願いして、「コロナウイルス感染」とならない様に、
御理解と御協力を お願い致します。 m(_ _)m
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令和二年 11月第2日曜 七五三
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