廿軒家神明社のホームーページ






鎮座地 愛知県名古屋市守山区廿軒家14−55
  
祭神 天 照大神・豊受姫大神建速須佐之男大神
神明社(しんめいしゃ)は、天 照大神を主祭神とし、伊勢神宮内宮(三重 県伊勢市)を総本社とする神社です。
平成4年8月30日に愛知県神社庁から発行された「愛知県神社名鑑」によると愛知県には3,300余の神社がありますが、そのうち、神明社と名のつく神社 を数えてみますとは504社もあります。日本全国では神明社と名のつく神社は5000ほどあると云われています。

境内坪数  720.00坪

神道全般
   

由緒 及び 皆様からお寄せいただきました思い出話
根拠
慶長5年(1600年)関が原の戦い
創建は元和年間(1615年)と伝えられる  こちら
元和3年(1617年)成瀬隼人正成が 徳川家康の命を受け、尾州家義 直卿の附家老と して赴任し、犬山城主と就任した後、当地の看視役として組頭外10名の同心を召抱えた。そして彼 らが産土神と して神明社を創建した。

棟札に よれば、元禄16年(1703年)、元文4年(1739年)、明和8年(1771年)、安永4年(1775年)、安永8年(1779年)、寛政4年 (1792年)に未解読ながら何らかの工事が行われた。  
嘉永6年(1853年)新たに10名の同心を召抱えた。



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元治2年(1865年)長州征伐に出陣した小幡の成瀬家家臣たちが出征記念として灯籠を奉納した。

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正確な年代は不明であるが、この頃に建てられたと推定される「神明宮」と刻印
された石柱が、百度石のすぐ横に立っている。














慶応3年=明治元年(1867年)大政奉還、王政復古

明治4年(1871年)廃藩と同時に廿軒家屋敷は小幡村に 併合され以来廿軒家島と称せらるようになった。当時の戸数は40余であり、当時の祭事はこれらの信徒によって挙行されていた。

明治8年(1875年)本神社の境内地が信徒に払い下げ受けた。

明治29年(1896年)守山聯隊が廿軒家島に設定されて以来俄かに人口は増加した。

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明治35年棟札によれば未解読ながら何らかの工事が行われ た。  こちら
明治37年(1904年)2月6日〜明治38年(1905年)9月5日の間 日露戦争
明治37年(1904年)1月秋葉山常夜燈が奉納された。
「嶋内安全」と刻印されてる。

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刻印に拠る

明治38年(1905年)日露戦争戦勝記念の灯篭が奉納された。
現在は上部はなく、中台と竿だけが残っている。
明治42年棟札によれば未解読ながら何らかの工事が行われ た。  こちら
ここが廿軒家島と称されてい た頃、「お まんと(馬駆け)」行事が盛んであった。「おまんと」とは飾りつけした馬の手綱を持って屈強の若者が白山神社から神 明社へ疾駆してくる行事であったと伝えられている。

《田中千里さんの想い出話》祭 りの当日はボイルの服(夏の薄手のよそゆき)を着て白山社へ出掛けた。箕浦三郎さんが手綱とっていた。「おまんと」が白山神社の境内を3回廻った後、神明 社へ向かって駆けていった。馬の後に従った子供たちは綱を手に取り、馬が速く走りすぎるのを抑えるブレーキの役目を果たしていた。

≪箕浦智代子さんの想い出話≫当時祭礼は神明社ではなく、白山社で他の地区の
氏子と一緒にしていた。
昭和25〜30年頃まで白山社には5〜6頭の馬がお祭りの時には集まってきていた。



祭衣装の袖に
「廿軒家島」の文字が写っている。
大正11年(1922年)改造がなされた。
この頃の写真(田中千里提供)

《田中千里さんの想い出話》毎朝父に手をつ ながれて神明社へいった。この頃の神社は東向きであった。当時は向かって右側にお稲荷さんの3つのオシャトもあって、本殿でお参りしたあと、そこでもお祈 りをした。その後では向かって左側の林に入り、きのこや蓑虫をとった。蓑虫は家に持ち帰り、財布を作った。
当時はまだ南の石階段はなかった。南に下り きった今の廿軒家会館や駐在所のある辺りには東から西に向かう川幅2メートル位のチイカワと呼ぶ小川があった。池もあって子供がそこで泳いでいた。これに 対して現在守山川と呼んでいる川は、その当時はオオカワと呼んでいた。オオカワには水車小屋があり、シジミやメダカが住んでいた。上流の瓢箪山から下った 辺りにはため池もあった。矢田川は当時も矢田川と呼んでいた。
こちら
昭和3年(1928年)11月 御 大典記念(昭和天皇の即位の礼)として現在の社務所に東側にある石鳥居が奉納された。


また、拝殿の手前両側 にある石灯籠1 対も奉納された。


                       







刻印に拠る
昭和15年(1940年)皇紀2600年記念 として 百度石が奉納された。


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刻印に拠る
昭和16年(1941年)12月8日太平洋戦争開始・真珠湾攻撃
≪箕浦智代子さんの想い出話≫8の付く日は毎日、小学生たちは神明社で掃除をした。

昭和16年12月15日無格社に列なる。
昭和17年(1942年)分区により、今まで大字小幡字廿軒家であったのが、大字廿軒家に変わ
った。即ち、行政区分上、今まで小幡の一部であった廿軒家が小幡から独立した。
昭和18年(1943年)頃、上記の分区をきっかけにして、神社としても白山社から独立することにな
り、9筆の土地の分譲を受けた。
浅井撰一氏の記録によれば、常灯にあった社が廃止され、白山社に合祀された後、上記土地
の分譲を受けて、神明社は常灯を受け継いだ。(但し、箕浦三郎さんも同行して常灯から直接遷座
してきたという上記とは異なる云い伝えも残っている)。
昭和18年(1943年)7月9日、登記簿によれば、現在の境内地の殆どの土地
(1405番地、2,185m2)が寄付により信徒から神明社に所有権移転された。
≪渡邉章孝さんの想い出話≫昔は神社の土地の所有者を氏子の代表者
にすることが一般的であったと聞いている。
いつ建てられたか不明であるが、この社務所は戦中に既に存在していた。

昭和和19年(1944年)
4月 現在の本殿敷地 内にある石灯 籠1対が奉納
された。
                                         




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≪渡邉章孝さんの想い出話≫昭和20年5月身内の者が予科練に入隊することになったので、
神明社でバンザイをして見送った。その後すぐに沖縄で戦死した。元気者で真っ先に飛び
立っていったと後で聞いた。
何時か不明であるが廿軒家神明社 の建つ丘状の高ま りから鉄斧、鉄鏃、鉄鉾が出土したことがあった。
このことからここは古墳ではないかと見られている。

                                 


1984年1月28日名古屋市博物館発行の「守山の遺跡と 遺物」に拠る


昭和20年(1945年)8月15日玉 音放送(ポツダム宣言受諾
昭和19年(1944年)7月起工〜昭和24 年 (1949 年)10月竣工
   本殿 改築、拝殿 改築、石段 新築
拝殿に掛かっている木版に拠る
戦後、戦没者慰霊碑が建てられた。
神明社では毎年秋にここで戦争犠牲者慰霊祭を斉行しております。

  刻まれている歌:「ちりゆくさくら 名をのこしたる 里かがみ」
昭和22年7月26日神社本廰に所属する神明社として登記された。
昭和29年7月7日宗教法人神社本庁に所属する神明社として登記し直された。
登記簿謄本に記載されている目的は下記のとおりである。
「天照皇大神を主神として、奉斉し公衆禮拝の施設を備え神社神道に従って祭祀を行い、
 祭神の神徳をひろめ、本神社を崇拝する者及び神社神道を信奉する者を教化育成し、
 社会の福祉に寄與し、その他本神社の目的を達成するための財産管理その他の業務
 を行う」
昭和23年頃旧社務所前にて

《田中千里さんの想い出話》今の社務所が建 つ以前には、この写真に写っている建物がたっていた。太鼓がおいてあった。そこに住んでおられた方からお供えのお下がりを頂いたこともある。
一時期ここが幼稚園であった。
この社務所の南に現存する郷倉は、水道道と瀬戸街道の交差点付近にあったゴングラと呼んでいたものを終戦後移築したものである。

《宇野篤子さんの思い出》禰宜(神主)さんが境内に住んでおられた。祭りの時には社務所に獅子も2つ置つ飾られた。それを小学校上級生がかぶり、下級生の私は その後について町内を回った。

輪くぐりの時にはおでこに赤い○印を付けて もらった。

《渡邉章孝さんの想い出話》当時は祭礼の時には7〜8人が笛を吹き、5〜6人が太鼓をたた
いた。田中きんろうさんが指揮をとっていた。


≪箕浦智代子さんの想い出話≫宮司であった伊藤金之助さんが戦後10年ほどここで幼稚園
を経営していた。その後は本居さんがここに住んでいた。
昭和29年(1954年)6月志段味村と守山町が合併して守山市が誕生した。
昭和29年(1954年)10月本殿新築、こ の時に現在の千代田街道沿いの石鳥居と社標も新築された。




拝殿に掛かっている木版に拠る
昭和30年(1955年)社務所改築
こちら
昭和30年(1955年)現在社務所が建っている辺りの1406番地と1407番地の土地を永谷・箕浦
両家が寄付し、神明社の境内地に加わった。この記念石柱が拝殿の東側に立てられた。
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昭和34年(1959年)9月24日伊勢湾台風来襲
昭和34年(1959年)10月 今の石段の上 の玉垣奉納が奉納され た。

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刻印に拠る
昭和37年(1962年)分区 20周年記念として狛犬1対 が奉納された。

                                                                                    




刻印に拠る
和37年(1962年)2月15日名古屋市と合併、13番目の区となった。
昭和51年(1976年)現在派出所が建っている敷地を愛知県に賃貸開始
昭和53年(1978年)7月15日社務所改築完成
こちら
昭和54年(1979年)7月拝殿新築
新築前



新築後






写真に拠る
昭和59年(1984年)現在廿軒家会館が建っている敷地を名古屋市に賃貸開始
昭和63年(1988年)10月本殿、渡殿改築完成
《諏訪弘さんの想い出話》昭和62年方賀帳を持って氏子宅を回ったところ、思いもよらないような
志の寄付が集まり、神明社に対する氏子衆の奉神の念の深さに感銘したことが思い出されます。
私事ですが、他の土地から来た者ですが、心底神社への思いが強まったことが、永く神明社への
奉仕ができた基でした。


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平成5年(1993年)皇太子ご成婚記念とし 今の石段の下 の玉垣が奉納された。
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刻印に拠る
守山龍神社:平成12年(2000年)7月 16日に、戦国時代の英傑 『豊臣秀吉』に縁が深い清須市の「日吉神社」からお迎えし、遷座しました。


 

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平成15年(2003年)7月 社務所新築


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平成18年(2006年)2月18日秋葉神社 を廿軒家神明社の境内に 遷 座






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平成19年(2007年)7月スロープ新築・ ろうそく立て奉納




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平成22年5月23日拝殿改修完成式典を催しました。
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平成26年12月31日津島社を遷座しました。    こちら