2008年6月19日
あさ4時40分頃、目が覚めてしまったので、神明社へ行って、夏祭り
の看板の準備していたら、高齢のご婦人が来られたので話しかけま
した。

Q:おはようございます。参拝ですか?
A:いいえ、脚の運動のために来ているのです。
Q:どこにお住まいですか?
A:瓢箪山の近くです。往復30分です。
Q:この神明社は散歩の良い目標という訳ですか?
A:私の姑が良い死に方をしたので、私も見習うことにしたのです。
  姑は90歳でなくなりましたが、前日まで普通に生活していて、
  夜寝ている間になくなりました。姑は毎日ここにお参りしていたの
  で、私も見習って毎日来るようになったのです。
  連れは昨年なくなりました。
Q:お名前は?
A:浅井です。
Q:ここの神明社の氏子総代会の昔の会長は浅井さんですが、その
  方とのご関係は?
A:その方とは関係ありません。ですが、今の氏子総代会の会長の
  箕浦鈴夫さんとは親戚関係です。
Q:箕浦さんと浅井さんでは姓が異なりますが・・・
A:どちらも昔から住んでいる家ですので、昔を辿ってゆくと、親戚関係
  ということになるのです。

この後、浅井さんが参拝をなさっているのを、横目で見ながら、私は
帰りました。
2008年6月8日
あさ9時ごろ、いつものように加藤さんが参拝に来れました。はじめ
て加藤さんにお会いしたのは昨年11月頃神明社の由緒を調べて
いた時です。
加藤さんはいつも神明社に来れると、先ず本殿にお参りし、百度石
を回ってから慰霊碑と龍神様をお参りなさいます。
以前お話を伺ったこともありますが、忘れた部分も多いので再度お話
を伺いました。
「私は94歳。松蔭庵の東側に住んでいます。名古屋の東新町に住ん
 でいたのですが、戦争で焼き出されて60年前にこちらへ移って来
 ました。
 一旦移り住んだ家は、正式な許可を与えた訳ではないと大家さん
 にいわれ、すぐ近くの今の家に移りましたが、当時は大変荒れた
 家でした。ですが子ども4人を育て上げました。今はそれぞれ別の
 所で暮らしています。息子の1人はこの前自分で考案した機械を
 中国へ売り込み、先日運転指導して帰ってきました。
 大隈鉄鋼に勤めていた夫は17年前になくなりました。
 神明社には老人会の会長をしていた頃は、月1回掃除にきました。
 神明社には雨の日以外は毎日参拝に来ています。足腰の鍛錬にも
 なっています。今は自由の身です。」
2008年6月1日
早朝ある年配の方が神明社に来られました。通常の参拝者はすぐ
スロープを登って本殿で参拝されるのですが、その方はスロープの
横を通っていきましたので不思議に思って後をついてゆくと、ローソ
ク立ての扉を開けましたので声をかけました。
Q:初めてローソク立てにローソクを立てる方をお見かけしました。
  どうして4本のローソクを立てるのですか?
A:家族全員の無事を願って、家族の人数だけ立てるのです。
  人によって1本だけ立てる方もおらえますが、私はこのようにし
  ています。今年は息子が厄年なので、災難に会わないよう特に
  今年はよくお参りしているのです。
Q:子ども思いなのですね。さすがお母さんなんですね。
A:息子がいくつになっても、私は死ぬまでお母さんです。
Q:古いマッチですね。桃の絵がついていますが・・・。
A:こんなのどこでも売っていますよ。
Q:どこから来れれたのですか?
A:八反です。

この方はローソク立てでお参りした後、本殿・龍神社にお参りなさっ
て帰られました。
2008年4月7日浅井浩さんからのメール
4月4日の早朝に神社でお話しさせていただいた浅井です。
メールが遅くなって申し訳ございません。
 
お話しを伺い、いろいろと懐かしさが込み上げてきました。
神明社ホームページの 記念写真の
「拝殿新築記念。昭和54.7.15」で、前列中央に写っているのが、私の父親で 浅井撰一 です。
父は昨年2月21日に100才で他界致しました。
神明社ホームページの存在を父に教えてあげればきっと懐かしがるに違いないと思うと、もう一年長く生きていてほしかったと悔やまれます。
 
私は、毎朝 喜多山の自宅から神明社まで片道45分かけてウオーキングしております。
神明社の北側に住む 山内かおり(私の妻の娘)の息子(山内翔央)つまり、おおまかに言うと 私の孫と 神様に参拝し、私の健康と孫の勉学を祈っております。参拝をかねて孫に人生の指導をしていくつもりです。
今年中学に入る孫ですが、とりあえず、良い挨拶の仕方から指導しております。
孫が立派に成人するよう暖かく見守りたいし、支援していきたいと考えております。
これからも宜しくお願い申し上げます。
                               浅井浩